随机学日语

兵役は、成年男子3-4人に1人の割合で兵士に徴発されるもので、諸国に置かれた軍団で訓練を受け、その一部は京へのぼって宮城や京内を警備する衛士となり、あるいは九州北部の沿岸を守る防人となった。防人に充てられたのは、主に東国の農民であった。兵士は、武装や食料などを負担しなければならなかったから、庸?雑徭などを免除されてはいても、その負担は非常に重かった。また戸にとっても、兵士を出すことはその家の働き手をとられることになり、大きな痛手であった。        
白鳳文化: 天武?持統天皇の時代には、律令国家が形成されていく時代を反映して、清新な文化が起こった。7世紀後半から8世紀初頭にかけての、貴族を中心とする文化を白鳳文化という。        
天武天皇は、伊勢神宮をはじめとする神社の祭りを重んじたが、仏教も厚く信仰して、大官大寺?薬師寺などの官立の大寺院を建立し、また金光明経などの護国の経典を重んじた。朝廷が仏教の普及につとめたため、諸国にも郡司などの手になる寺院が建てられた。このように仏教が国家の保護を受けて発展した反面、寺院や僧侶は国家の厳しい監督のもとに置かれるようになった。        
この時代には、隋?唐との交渉によって中国文化の直接流入の道が開けたので、美術にも初唐の文化の影響が見られる。興福寺仏頭や薬師寺金堂薬師三尊像などの金銅像はその代表的な作品で、人間的な若々しさにあふれている。とくに法隆寺金堂壁画は、インド?中国の様式を取りいれたスケールの大きい画風を現している。また貴族の間では漢詩が作られ始めた。日本古来の歌謡も、句の音数がこのころほぼ5音と7音に定まり、短歌?長歌の形式が完成し、柿本人麻呂?額田王らの優れた歌人が現れた。それらの作品は『万葉集』に収められ、雄大な格調やこまやかな叙情によって人々の心を打つものが多い。        
平城京と国土の開発: 元明天皇の時、それまでの藤原京に変わって奈良に大規模な都城が営まれることになり、710(和銅3)年、天皇はここに移った。これが平城京で、以後、都が平安京(京都)に移るまでの80年余りを奈良時代という。        
语音翻译

本站公众号,不定期分享日语学习知识、日本见闻等内容。

拍照识别翻译

本站小程序,提供多种语言的拍照翻译、文字翻译和语音翻译功能。

Copyright 2017 小楠日语 | 微信公众号:xiaonanriyu | 鄂ICP备19022974号-1 | 站点地图