「羊をめぐる冒険」の翻訳(41)
6 いとみみず宇宙とは何か?(1)象徴的な夢があり、そんな夢が象徴する現実がある。あるいは象徴的な現実があり、そんな現実が象徴する夢がある。象徴はいわばいとみみず宇宙の名誉(めいよ)市長だ。いとみみず宇宙にあっては乳牛がやっとこを求めていても何の不思議もない。乳牛はいつかやっとこを手に入れるだろう。僕には関係のない問題だ。
しかしもし乳牛が僕を利用してやっとこを手に入れようとしているのであれば、状況はがらりと違っている。僕はまるで考え方の違う宇宙に放り込まれてしまうことになる。考え方の違う宇宙に放り込まれていちばん困ることは話が長くなることである。僕が乳牛に訊ねる、「何故君はやっとこを欲しがるんだい?」。乳牛が答える、「とても腹が減ってるんですよ」。僕が訊ねる、「どうして腹が減ったらやっとこがいるんだい?」。乳牛が答える、「桃の木の枝に結びつけるんですよ」。僕が訊ねる、「どうして桃の木なんだい?」。乳牛が答える、「だから扇風機を手放したんじゃありませんか?」。きりがないのだ。そしてきりのないままに僕は乳牛を憎みはじめ、乳牛は僕を憎みはじめる。それがいとみみず宇宙だ。そんな宇宙から脱け出すためにはもう一度べつの象徴的な夢を見るしかない。
一九七八年の九月の午後にその巨大な四輪車は僕をつれこんだのは、まさにそのようないとみみず宇宙の中心であった。要するに、折りは却下(きゃっか)されたのだ。
僕はあたりを見まわしてから思わずため息をついた。ため息をつくだけの価値はあった。
車は小高い丘の中心に停まっていた。背後には車は上がってきたらしい砂利道がつづき、それはわざとらしくくねくねと曲りながら遠くに見える門に通じていた。道の両側には糸杉(いとすぎ)と水銀灯が鉛筆たてみたいに等間隔に並んでいる。ゆっくり歩けば門までおそらく十五分くらいはかかるだろう。糸杉のそれぞれの幹には数え切れないほどの蝉がしっかりとしがみついて、世界が終末に向かって転がり始めたといった風に泣きわめいていた。
糸杉の並木(なみき)の外側はきちんと刈り込まれた芝生で、その傾斜(けいしゃ)に沿ってどうだんつつじやらじさいやらその他わけのわからない植物がとりとめもなく散らばっていた。むくどりの一群が芝生の上を気紛れな流砂のように右から左へと移動していた。
丘の両側には狭い石段があって、右手に下れば石灯籠と池のある日本風の庭園、左に下れば小さなゴルフ?コースになっていた。ゴルフ?コースのわきにはラムレーズン?アイスクリームのような色あいの休憩用のあずまやがあり、その向うにはギリシア神話風の石像があった。石像の向うには巨大なガレージがあり、別の運転手が別の車にホースで水をかけていた。車の種類まではわからなかったが、中古のフォルクスワーゲンでないことだけはたしかだった。
僕は腕を組んだままもう一度ぐらりと庭を見渡した。文句のつけようのない庭だったが、少々(しょうしょう)頭が痛んだ。
「郵便受けはどこにあるんだろう?」と念のために僕は訊ねてみた。朝と夕方に誰が門まで新聞を取りにくいのか少し気になったからだ。
「新聞受けは裏門にあります」と運転手は言った。当然の話だ。もちろん裏門がある。
庭の検分が済むと僕は正面を向き、そこにそびえ建つ建物を見上げた。
象征性的梦是有的,那种梦也有象征性的现实。也就是说,象征性的现实是有的,那种现实也是象征性的梦。所说的象征也就是线蚯蚓宇宙的名誉市长。在线蚯蚓的宇宙中奶牛寻求钳子也没有什么不可思议。奶牛总会得到钳子的。对我来说这是无所谓问题。
但是,假入奶牛利用我得到了钳子的话,那情况马上就变了。可以说我就被投放到思考方法不同的宇宙里。被投放到不同思考方法的宇宙,首先麻烦的是说话不找调。我就问奶牛:“你为什么想弄到钳子呢?”奶牛回答说:“因为我饿得受不了。”我接着问:“怎么回事,饿了就要钳子呢?”奶牛回答说:“要把它系到桃树枝上。”我问:“怎么会有桃树呢?”奶牛回答说:“不是不要风扇买了吗?”真是没完没了。而且因为没完没了我恨起了奶牛,奶牛也恨起了我。那就是线蚯蚓的宇宙。为了从那一种宇宙中脱离开也只能再做一个其它像征性的梦。
在一九七八年九月的一个午后,那辆巨大的四轮车把我领进了那种线蚯蚓的宇宙中心。概要地说,祈祷被驳了回来。
看了周围之后不由地喘了一口气,喘气的价值是有的。
车停到了稍高的土丘的中心。背后应该是车行驶上来的砂道,那是特意设计的带有弯曲的道路,直接通向那远去的大门。在道路的两侧有杉树和水银灯,它们像铅笔那样等间距排列着。如果慢慢走到门口约需要15分钟。在那杉树上有无数的蝉紧紧地㧓着树干泣叫着,仿佛在述说世界向末日行驶。
在树林外侧有修理整洁的草坪,在斜坡上有满天星、紫阳花和其它叫不上名字的草在无规则地散长着。一群白头翁像不稳的流沙那样从草坪的右侧飞移到左侧。
在土丘的两侧有狭小的石阶,右侧的下面是建有石灯笼和水池的日本式院落,左侧下面有小的高尔夫球场。在高尔夫球场的旁边建有颜色相配的休息用的小亭,其对面有希腊神话风格的石像。石像的对面有巨大的车库,其他驾驶员用软管向其它车冲水。对车的种类并不太清楚,但并没有旧车。
我抱着手腕再一次环顾了院落。那并不是什么可以挑剔的院落,我头有点痛。
“收发室在哪里?”有一闪念我问了出来。从早晨、晚上由谁走到那大门口取报纸呢?
“收报纸的在后门。”司机说。那是当然的了。当然是有后门了。
把院落巡视完后我面向正面,抬头看耸立在那里的建筑物。
主人公被那宽广的院落吸引住了。