「羊をめぐる冒険」の翻訳(72)
1 奇妙な男の奇妙な話(1)(5)「君と話すのは面白いよ」と男は言った。「君の非現実性はどことなくパセティックな趣きがある。まあ、いい。べつの話をしよう」
男はポケットから拡大鏡を出して、テーブルの上に載せた。
「それで写真を心ゆくまで調べてくれ」
僕は左手に写真を持ち、右手に拡大鏡を持ってゆくと写真を眺めた。何頭かはこちらを向き、何頭かはどこかべつの方角を向き、何頭かは無心に草を食べていた。雰囲気がもりあがらない同窓会のスナップ写真みたいな感じだった。僕は一頭ずつ羊を点検し、草の繁り具合を眺め、背後の白樺林を眺め、その後の山なみを眺め、ぽっかりと空に浮かんだ雲を眺めた。異常なところは何ひとつなかった。僕は写真と拡大鏡から目を上げて男を見た。
「何か変ったところに気づいたか?」と男はたずねた。
「何も」と僕は言った。
男はべつにがっかりした風でもなかった。
「たしか君は大学で生物学を専攻していたな」と男は訊ねた。「羊についてどの程度のことを知っている?」
「何も知らないのと同じですよ。僕がやったのは殆んど役に立たない専門的なことですからね」
「知っていることだけを話してくれ」
「偶蹄目。草食、群居性。たしか明治初期に日本に輸入されたはずです。羊毛と食肉に利用されている。そんなところですね」
「そのとおりだ」と男は言った。「ただ細かいところを訂正すると、羊が日本に輸入されたのは明治初期ではなく、安政年間だ。しかしそれ以前には、君の言うように、日本には羊は存在しなかったんだ。平安時代に中国から渡来したという説あるが、それが事実だとしてもその後その羊はどこかで絶滅(ぜつめつ)してしまった。だから明治まで、殆んどの日本人は羊という動物を見たこともなければ理解もできなかったということになる。十二支の中にも入っている比較的ポピュラーな動物であるにもかかわらず、羊がどんな動物であるかということは、正確には誰にもわからなかった。つまり、竜や貘と同じ程度にイマジナティブな動物だったといってもいいだろう。事実、明治以前の日本人によって描かれた羊の絵は全て出鱈目な代物だ。H?G?ウェルズが火星人に関して持っていた知識と同じ程度と言ってもいいだろう。
“和你谈话真是有趣。”他说。“你的非现实性总有些哀怜的情趣。哎,也好。你说说其它事。”
他从口袋里把放大镜拿出来,放到桌子上。
“用这个你用心地看一看。”
我左手拿着照片,右手拿着放大镜,慢慢地看那照片。有几只羊头朝这里,有几只朝其它方向,还有几只无心地吃着草。让人感到就像是抓拍到不太热闹的同学聚会的照片那样。我一只只地数羊,看绿草繁茂的情况,望背景中的白桦林,瞭其后面的山脉,看漂浮在空中的云。异常的地方一个也没有。我从照片和放大镜那里抬起眼睛看着他。
“你注意到什么不同的地方吗?”他问道。
“什么也没有。”我说。
他也并没有特别失望的模样。
“你在大学不是专攻生物学吗?”他问道。“你对羊能了解到什么程度?”
“几乎什么也不知道。我所做的几乎是无用的专业事情。”
“你就把你所能知道的事给我讲一讲。”
“是偶蹄目动物。食草,群居性。具体说是在明治初期才输入到日本的。羊毛和肉可被利用。也就知道这些。”
“正如你所说的。”他说。“但有个细小的地方需要更正。羊到日本不是在明治初期,是在安政年间。但在这之前就像你所说的那样,在日本没有羊。也有传说是在平安时代从中国传来的。即便那是实事但肯定以后在什么地方灭绝了。所以到了明治几乎所有的日本人没有看到过羊这种动物,自然也就不能理解。在进入到十二支之中相对比较通俗的动物,而羊到底是什么样的动物,谁也不解正确地理解。也可以称为和龙、貘同样程度的想像动物。事实上,根据明治以前日本人所描绘的羊的绘画全都是信口胡说的替代物。也可以说和美国Welles所述的有关火星人所具有的知识程度相同。
主人公上学时所学的知识全部退还给老师,全部忘掉了。
我们也一样,原来能做三角函数,能解多元方程,能背诵文言文,能背诵化学元素表。现在什么也没有了。
步入社会,在社会上混了好长时间了,也没有多学会什么,能做的事情也不多。人生就是这样混下去了。