麻烦高手翻译下
食文化について
中国で「ご飯食べました?」は挨拶言葉です。 親しい者同士が食事時に顔を会わせれば「ご飯食べました?」と言う言葉がごく自然に出て来ます。 ある意味では、日本人の「いいお天気ですね」と同じです。 しかし、この挨拶言葉というものはその社会に入って見ないとなかなかわかりにくいと思われます。 日本語の「こんにちは」にあたる中国語は相手と時と所によっていろいろな言い方があります。 だから「ご飯食べました?」イコール「こんにちは」でもないし「ニーハオ」がイコールすべて「こんにちは」でもありません。 「ニーハオ」がれっきとした中国人同士の挨拶言葉であることは間違いありませんが、ただどちらかといえば少し「よそゆき」の言葉であって、親しい者同士ではあまり日常的には口にしません。
これは日本語の「こんにちは」にしても同じ事ではないでしょうか。 例えば、同居している家族同士が顔を会わせたとき「こんにちは」とは言わないでしょう。 中国でも色々な言い方がありますが、この「ご飯食べました?」というのも、ごく自然な挨拶の一つなのです。 そして、こういう挨拶がすんなりと出てくるところに、中国人の「食」に対する関心の深さがあらわれていると思います。 関心と言うよりはもっと強い、品よく言えば「食願望」であり、下品に言えば「食への執念」でしょう。 そこからごく自然に生まれてきた言葉ではないでしょうか。 勿論食へのこだわりは中国人だけのものではないでしょう。
日本でもこのごろは「グルメ」ばやりで、テレビでも料理番組がしょっちゅう流れています。 でも日本人の「グルメ」なるものはきわめて趣味的であり、どこかひ弱な感じがします。 舌先だけの事であり、口先だけのことではないでしょうか。 そこへいくと中国人の食意識はもっと根強く、生活であり、全身全霊がかかっていると言ってもいいのではないでしょうか。 中国人のそのものさしを理解するためには、その「食願望」を知っで貰わなければならないと思います。 なにしろそれは昨日や今日のことではなく、ラーメンの広告ではありませんが、大袈裟に言えば四千年の歴史を背負っているからです。
良かれ悪しかれ中国は伝統の力がことのほか強いと思います。 とくにこの「食願望」は遺伝因子がかなりのウェイトを占めていると思われます。 「酒池肉林」と言う言葉は日本でもよく使われるようですが「酒の池」「肉の林」といった発想がすさまじい「食願望」を示しています。 「酒の池」というのは日本にも「養老の滝伝説」があるようですが、皮を剥いたままの肉塊がズラリとぶら下っている「肉の林」が願望であるという事になると日本とは執念の度合いが違うのではないかと思われます。
中国の「美味追求」はあまりにも有名です。 なかには文献や話の上だけのものありますが、「熊の掌」、「ラクダのこぶ」、「蛭のスープ」と発想自体が飽くなき食願望の産物です。 勿論、だれもがゲテモノを好むわけではありませんが、広州の蛇料理などは日本の鰻以上の市民権を持っていると言ってもよいでしょう。 「四つ足のものは机以外、飛ぶものは飛行機以外、水中のものは潜水艦以外なら何でも食べる」と言われるほど材料が多彩なこともさることながら、徹底的に凝った料理法も中国料理の特徴でしょう。 例えば、前記の「熊の掌」は熊の右手を粘土で包んで焼き、毛をむしる、そして三日三晩、薬草を加え湯を変えては煮上げます。 日本料理も凝っていると言われますが、それはむしろ食べるより目で眺めて楽しむと言う芸術品の世界ではないでしょうか。 そこにいくと中国料理はタップリ感いっぱいの御馳走なのです。
日本でも魚の活き造りは頭ごと食卓に出てきますが、動物は出てきません。 だが中国の場合、例えば、北京ダッタは、はじめに頑の部分を主賓にささげます。 これは最大の敬意をあらわしています。 ブタの頭も御馳走です。 まるごとというのは材料を無駄にしないという経済牲だけでなくタップリ感、コッテリ感とも関連があると考えられます。 「満漢全席」と言う名前のついたコース料理がありますが、これは王室の宮廷料理から民間に広がったものです。 満州族と漢民族の料理の粋をあわせて作ったもので、その品目の多い事まさにタップリ感の粋であろうと思います。 これに対して日本料理はよい素材を選ぶ事と、素材の味をうまく生かすところにあるのではないでしょうか。 だから新鮮さとかどこでとれた素材であるとかどんな季節にとれるものであるとかといった事が非常に問題になるようです。
例えば、「今日向かいの海からあがったばかりの鯛」だとか「さっき裏山で掘ってきた筍」といった具合に材料の持っている味をそのままいかして使うことが大切な事とされているようです。 あとは包丁さばきのよさとか、目を楽しまさせてくれる器や配色のよさなどで料理人の腕の違いのみせどころという事でしょう。 一般に中国料理は素材30腕70と言われますが、日本料理は一寸といいすぎかもしれませんが、そのちょうど逆なのではないでしょうか。
では、その料理を食べるときですが、この食事のときの礼儀作法が日本と中国では違うようです。 日本では床の間を背にした席が上席で、出入口に近いほど下座だとの事で食事をする場合の食卓も四角に作られています。 そして四角に並んだ座席の一番奥の床の間を背にした真ん中の席が上席で日本の場合上席に誰が坐るかはほとんど決まっているようです。 来客がお互いに席を譲り合うという光景はあまりみません。 中国ではその日のホストすなわち勘定を払う人が奥の中央の一番上席に坐り主人の左が主賓、右がその次に大事なお客と言う順序になり、以下代わる代わる左右に席次が下がって行きます。 主賓にサービスするのがホストの役目であってみれば、ホストが主賓の隣に坐るのは理屈にかなっていると思います。
ところが、こうした座席の上下があるばっかりに譲り合いが始まります。 それもちょっとやそっとの譲り合いではありません。 五分も十分もかけてお互いに謙譲の美徳を発揮します。 やっと席に着いて食卓の上を見ると中国人と日本人では箸やスプーンの置き方が違います。
箸を使うという点では中国人と日本人は共通しています。 日本人は箸を横に並べますが中国人は縦に並べます。 スプーンも同じく縦です。 また箸の形が違います。 中国人の使う物は日本人が普段使っている物よりずっと長い。 どうして中国の箸の方が長いかというと中国料理は円卓を囲んで卓上一杯に料理が並ぶので、遠い皿にも手が届くように配慮されているというのが一つ。 もう一つは隣りとそのまた隣りくらいまでは料理を挟んで皿に入れてあげるのが礼儀なので、そのために自然に箸が長くなったのでしょう。
日本の場合ははじめから一人前ずっに分けられて出てきますから、自分の口まで届けば事足りるので、中国箸のように長い必要はないのでしょう。 また日本の箸は先に行くほど細くなっています。 中国箸が先の方までズンドウになっているのに比べると鋭い感じがします。 これは日本人が海に囲まれた島国に住んでいて基本的には魚を食べる海洋民族であるのに対して、中国人は内陸部に住み肉食を主とする牧畜もしくは農耕民族だからではないでしょうか。 魚を食べておれば魚の骨をかさわけなければなりません。だから箸はどうしても先の尖った形になるのでしょう。 「酒の肴」という日本語に対して「酒池肉林」という中国語を対比させれば日本人と中国人の御馳走の中身がわかり箸の形についても納得がいくのではないでしょうか。
あまりも長くてご想像にお任せします