しかし、後醍醐天皇の皇子護良親王(1
しかし、後醍醐天皇の皇子護良親王(1308~1335)や楠木正成(1294~1336)らが、畿内の新興武士などの反幕勢力を結集して蜂起し、幕府軍と戦った。やがて天皇も隠岐を脱出し、天皇の呼び掛けに応じて、播磨の赤松氏、肥後の菊池氏など各地方の武士で討幕に立ち上がるものも次第に多くなっていった。幕府軍の大将として反乱鎮圧のために派遣されていた足利尊氏(1305~1353)はこのような状況を見て、幕府に背いて六波羅探題を攻め落とした。また関東では新田義貞(1301~1338)が幕府の本拠地鎌倉に攻め込み、北条高時(1303~1333)以下の北条氏一族を滅ぼした。こうして約150年間続いた鎌倉幕府は1333年ついに滅亡した。
换一下