討幕運動の展開: 幕府に屈服した長州藩でも新
討幕運動の展開: 幕府に屈服した長州藩でも新しい動きが起こっていた。攘夷の不可能を悟った高杉晋作(1839~1867)?桂小五郎(木戸孝允)らの革新派が、保守的な藩の上層部に反発し、高杉は先に組織した奇兵隊を率いて1864年末に下関で兵をあげ、藩の主導権を握った。この革新勢力は領内の豪農や村役人と結んで、藩論を恭順から討幕へと転回させていった。幕府は長州藩に対して、第1次出兵の結末として、領地の削減などを命じたが、藩論を一変した長州藩は容易に応じなかった。そこで幕府は再び長州征討(第2次)を宣言したが、すでに開国進取に転じていた薩摩藩は、密かに長州藩を支持する態度をとった。翌1866(慶応2)年には、土佐藩出身の坂本竜馬(1835~1867)?中岡慎太郎(1838~1867)らの仲介で薩摩藩と長州藩と軍事同盟の密約を結び(薩長連合)、反幕府の態度を固めた。従って第2次長州征討が始まっても、戦況は幕府軍に不利に展開し、幕府はまもなく大坂中に出陣中の将軍家茂の急死を理由に戦闘を中止した。
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